いつか猫と暮らす日を夢み、書くことをはじめてみる

どうにも、年明け前〜年明け数ヶ月は心身的に調子がよろしくない。

 

物事に対しての要求が高くなり、100か0かの判断に囚われてしまう時期になる。たいてい100点など取れるわけもないので、とたんにブラックホールのような虚無感に苛まれるのだ。

 

数年前まではこのルーティンに気づくことができずに振り回されていたのだが、メンタル的なアップダウンが近しい心の姉に相談したところ、当時彼女も1年のうちに苦手な時期があるということが判明し、とたんに「そういうものなのか」とストンと腑に落ちたのだ。

 

今年は年末年始オフラインでの仕事が忙しく、正月にもかかわらず早朝から深夜まで仕事と向き合っていたりしたもので、それは遅くやってきた。

ふと仕事が落ち着き時間的な余裕ができた途端、気づけばすぐ背後に例の”虚無”は立っていた。

 

お久しぶりです虚無。やっぱり来てしまったか。

 

さあどうやって気分をあげるか。

この1年のうのうと生きていたわけではない。

気分のあがるプレイリストを聞いて眠る。

ライブ映像をみてワクワクした気分を作る。

ものづくりをしたくなるような作品に触れる。

などなど

虚無に備え色々と思案してきていた。

 

はずだった。

 

 虚無が顔を見せて1週間ほど、赤ん坊をラトル(がらがら)であやすようにあれやこれや試すも、試すほどに自分のダメさに苛まれてしまった。

挙句、興味があったものまで苦手意識を感じるようになり、結果的に距離を置くはめになったものもあった。

人の心よ かくも難しきかな…。

 

つい数ヶ月前までわりと毎日ご機嫌に過ごしており、自分とも少し仲良くなれたような気がしていた。

そんな時期を振り返っても「躁だっただけだ。本当の自分はこっちだよ」とささやく虚無自分に、眉を顰めたくなる。

 

このままでは危険だ。

睡眠時間は確実に増えている。

どんどん家事も疎かになっており、料理の回数はかなり減った。

セルフネグレクト状態に陥るまでのカウントダウンは始まりつつあった。

燻ってる何かに気づいて、「こうしたい」を無視せずに何かを変えなくてはいけないような気がしたのだ。

 

そうだ、猫を飼おう。

 

猫は良い。触り心地から鳴き声、宝石のような瞳。

そこにいるだけで猫奴隷人の心を豊かにしてくれる。

 

そうして 勢いにのって内見予約をいれたものの、

唐突に面倒臭さに襲われている。

さて引っ越しはいつになることやら。